09年5月15日 好評!都内歩いてるだけ企画 三田用水のこん跡を巡る!
ゲスト:江川達也、石田靖、ビビる大木、芳賀啓(解説)、中沢瑩子、林武子
江川や芳賀と地形をめぐるシリーズも早や第3弾。タモリ電車クラブの向こうを張って、「タモ江地形クラブ」の会員証まで作ってくる力の入れようだ。今回めぐるのは三田用水。世田谷区北沢から目黒区三田方面へ流れていた用水で、この名残を散策する。

散策前に、三田用水の基礎知識として石田が紙芝居で紹介。これによれば、そもそもの発端は玉川上水から分水した三田上水。その後、維持管理費の増大と地下水利用が増えたことで上水は廃止されたが、周辺住民の農業用水としての利用のために三田用水として復活。最終的には1975年に完全廃止された。江川が作成した明治時代の地図を貼り合わせた地形図には、用水が尾根を走っていることがはっきり表れていた。江川は戦国時代の想像図も得意げに見せていたが、芳賀の立場としてはちょっといただけない考証だったよう。

さて一行は松濤2丁目の住宅街からスタート。家と家の間に小段があり、これは芳賀も納得の用水跡。何の変哲もない場所なので次の場所へと促す石田らと1時間くらい見ていたいタモリらと、早くも温度差が。次は山手通りと旧山手通りの分岐周辺の青葉台4丁目。江戸時代からある街道らしく、用水があったことは中沢と林の話でも裏が取れた。さらに国道246号線を越え、用水跡がよくわかるという青葉台2丁目へ。右岸側が目黒川によって作られた急な崖になっている。一方左岸側には渋谷川で作られた谷がある。また左岸側は12万年前にできた淀橋台、右岸側は8万年前にできた目黒台であり、現在階段になっている崖には4万年の差がある、と。

旧山手通りと駒沢通りの交わる鎗ヶ先交差点では、江戸時代の工事により削られた崖が見える。崖が切り通されたことにより、用水は廃止まで水道橋として存続することとなり、その様子が写真にも残されていた。また、かつての目黒駅周辺を俯瞰した写真や目黒駅から水道橋が飛び出している写真も。このあたりは珍しい写真のようで江川も感心していた。日の丸自動車学校周辺の三田1丁目には用水を支えていた礎石がそのままの姿で残っており、記念碑も建てられている。タモリは何度か歩いたことがあるようだが、気付かなかったとのこと。江川の説ではこの場所はかつて谷だったが、用水を通すために盛土したところだ、とのことだが、芳賀の説は台地が異なるものであるから、つながっていたというもの。不自然な地形は崖からの湧水で削られた、ということだ。江川はロマンがないと嘆いていたが、タモリも芳賀説を支持。

白金台3丁目では、道路脇の駐車場が用水跡、というところを見る。駐車場の向こうの家の幅もちょうど用水幅のようだ。用水自体は湾曲していて、これは谷をよけるためのようだが、江川説ではその途中にやはり盛っているところがあるとのこと。それを確認すべく用水の路線を進む。途中、用水を渡していた今里橋跡を通過し、さらに進むと谷へ。開けたところには三田用水の断面があった。ここは唯一現存する断面らしい。芳賀は懸樋だったという自説だったが、案内板によると盛っていたようで、珍しく?江川説が正しいようであることを裏付けるものとなった。

最後は断面地点の経緯を推測しつつ、芳賀に地形クラブの会員証が手渡され終了。石田や大木も欲しそうにしていたが会員証はもらえず。それでも食い下がり「なんかくださいよ〜」と言う大木に対してタモリは「ギャラあげますよ」と。


地形クラブなんてものができて、いよいよシリーズ化されそうなこの手の企画だが、本当に好評なのだろうか? 江川が人の話を全く聞かないというか自説を強く押しすぎるので、番組の雰囲気に合わない気がするんだよなあ…。確かに今回のように芳賀の説が違っていたということはあるけど、基本的に彼の説の方が有力だし、もう少し専門家に話を聞いて「ほお、なるほど」という感じで進めていった方がいいような…。番組内では基本笑顔で議論しているのだが、勝手にそんなモヤモヤを抱えながら見ていたのであまり楽しめず。ゲストの石田と大木は、そこそこ興味を持ってやっていたように思う。石田の新喜劇的な派手な驚き方は鼻につくが、まあ仕方ないだろう。タモリは前回に引き続き「微妙な高低差を足の裏で感じなきゃいけない」と言っていた。確固たる持論なのだろうな。毎回こういう話をするようでは、会員は増えないような気がする。

空耳アワーの結果

ほら貝を持ちながら全員で。1本目は銀杏BOYSチン中村から。

ミュージシャン 曲名 賞品
ティンバランドワン・アンド・オンリー手ぬぐい
シャーデーアイ・ネヴァー・ソート・アイド・シー・ザ・デイ手ぬぐい
リカルド・ヴィラロボスアンドリュック&ジャパン耳かき

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