09年4月24日 目で見る快感! 絶頂派美術展
ゲスト:堀部圭亮(進行)、みうらじゅん、西岡文彦(解説)
世界各国の美術館の展覧会が続々公開されている昨今だが、今回はテレ朝の社屋で絶頂派の展覧会が開かれるということでそれにお邪魔する。絶頂派とは勝手な分類で、作品の中に密かにエクスタシーが描かれているもののこと。とはいえ、タモリも過去にネタでなくそういうものを感じ取ったことがあるらしい。フェラメールとかラファエロとか、そういう人たちの作品が見られるそうなのだが果たしてどうなのか。

最初の作品はアレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」(1863)。ナポレオンが買い上げたというこの作品の絶頂の証は、足の指が緊張して反り返っていること。「突っ張り系の代表作」なのだと。また、このモチーフ自体通常立っているのに寝ていること、目が上気していることもポイント。西岡によると当時は大っぴらに裸を描くことができなかったから、神話を口実に裸婦を描いていたそうだ。

次はカルロス・シュヴァーベの「憂鬱と理想」(1907)。理想が羽ばたこうという時に憂鬱がしがらみになっている、という絵だが、絶頂の証は男性に押し寄せる快楽の波が具現化されていること。パクッといってザッパーンらしい。オーギュスト・クレサンジュの「蛇に噛まれた女」(1847)は高級娼婦から型を取った像。全身に見られる筋肉の緊張が完全にアレだそうで。頭がベッドから落ちているし親指の反り返りも尋常ではない。また、資料写真には主眼がないとのことで西岡が現地で撮ってきた写真を見るが、なるほど絶頂の様子が明らかに見えていた。

カバネルの弟子、アンリ・ジェルヴェクス「ローラ」(1878)は卑猥さに展覧会の出品を断られたらしい。描かれる絶頂途上の女性のポーズが師匠の「ヴィーナスの誕生」とほとんど一緒で、こちらは脚が開いているという特徴がある。開いた脚にはシーツが描かれているが、そこにはローラ(描かれている男性)の頭があったのでは、要はクンニで乱れる女性を描いたのでは、というのが西岡の解釈。有名なジャン=フランソワ・ミレーにも「恋人たち」(1852頃)なる後背位をあからさまに描いた絶頂美術が。農民画家になる前はこのような絵ばかり描いていたそうだが、ある時バカにされているのを耳にして、一気に農民画家に転向したらしい。ダリが後日「晩鐘」を見て抑圧された性欲の絵だと直感したらしいが、それが見事的中していたということだ。

巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ・ブオナローティはそれぞれ同じモチーフで「レダと白鳥」(1510頃)、「レダ」(1530頃)を製作。白鳥の身体が男性器を暗示しているそうで、ミケランジェロのものなどはあからさま。好みの違いも表れていて、ミケランジェロは受け身、ダ・ヴィンチは同性愛を暗示するかのようにしっかり白鳥を抱える感じになっていた。ミケランジェロからはもう一つ、「瀕死の奴隷」(1515頃)。男性モチーフの絶頂美術としては一二を争うデキだという。脚が内に向いているし表情もそのもの、手が乳首と脇に伸びているのがそうなのだと。処女性が表現されており、女性になりたい願望も表しているようだ。それを見たみうらはなぜかこれまでで一番疼く絵だ、と。


扱うテーマはテーマであるが、わりと真面目に考察しており、なかなかアカデミックだったのでは。ミレーの件とかダ・ヴィンチとミケランジェロの違いなんかは興味深く見た。ディレクターになる前からたびたび番組に貢献していたビギンの画力も久々に披露されたのもポイント高い。こうした雰囲気に徹底的に逆行したのが「久々のエロネタ」と意気込んでいたみうら。とにかく話を下衆な下ネタに持っていって名言続々。タモリもそれに悪ノリするもんだから、堀部に「サングラス二人バカですねえ」と言われる始末。ただ、その下ネタが最近この番組に少なくなったバカ要素を大いに含んでいて面白かった。やはり無責任な下ネタを言わせたらみうらじゅんは天下一品で、久々に彼の凄みを見た思い。

空耳アワーの結果

安斎、オルセー美術館でクールベイの絶頂美術に感心したらしい。

ミュージシャン 曲名 賞品
ザ・リバティーンズドント・ビー・シャイ手ぬぐい
スリップノットデッド・メモリーズ手ぬぐい
アット・ザ・ドライヴインカタコーム手ぬぐい

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